« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »

2013年6月

2013年6月27日 (木)

偶然

朝、『あまちゃん』を見る。

春子さんが東京に出てきたのって、

ほとんど俺と同じ時期だな。

前後はあっても、1年位の差だと思う。

だから、春子さんの回想シーンを見ると、

みょうにあの頃の事を思い出す。

アイドル史やドラマ史って、

自分の歴史を刻むにはちょうどいいんだな。

大学4年、

放送作家になりたての頃、

所属した事務所にひとりだけ先輩作家がいて、

ラジオの仕事を紹介してもらった。

紹介といっても、ただの見学。

収録日の前日、

プロデューサーに電話をして、

見学の許可をもらい、

当日、自分でパイプ椅子を持ってきて、

スタジオの隅っこで見てるだけ。

それが、あるアイドルのラジオ番組だった。

言わなかったが、

偶然にも俺はそのアイドルの大ファンだった。

同じ空間にいるドキドキと

作家見習いとして何かしらの前進をしなきゃいけない

プレッシャーとで、

その時の俺は

今とは比較にならない程の

怪しく暗い光を放っていたと思う。

笑わなきゃ、

溶け込まなきゃというギアをいれる度に、

息が荒くなり、目が血走っていったと思う。

結局、

その見学は5回ぐらいで、行くのが辛くなり、

やめてしまった。

誰とも一言も話す事なく。

自分で自分の席を用意するという

パイプ椅子の重さに耐えられなかった。

それから11年後。

今の家内と一緒に暮らす事になり、

あるマンションに引っ越した。

隣りの部屋のご夫婦も前日に越してきたらしく、

ご挨拶したら、

そのアイドルだった。

という不思議な話。

もしも、あの時、顔を覚えられていたら、

間違いなく、ストーカーだと思われていたわよ、

こんな不気味な顔めったにいないんだから、

と家内。

東京って、そういう街なんだよと

『あまちゃん』を見てて思った。

関係ないか。

2013年6月26日 (水)

これらを参考に

今日はダルビッシュvs黒田の日本人投手対決。

今年はこのふたりに加え、
岩隈の3人の先発投手がとても安定している。
(勿論、上原も)
特にダルビッシュと岩隈が投げる試合は
可能な限り、録画している。
自分は野球好きではあるが、
技術的に詳しい訳ではない。
野球経験がある訳でもなく、
実技に至っては素人以下だ。
なのに、
何故、チェックするかと言えば、
ボールが思うようにいかない時、
調子の悪い時にどうやってしのぐのか。
あるいは
どんなに抑えていても勝ち星がつかない時、
気持ちをどう持っていくのか、
その参考にするためだ。
野茂の時からそう。
ベンチに日本人がひとり。
まわりはちょっと距離を置いている。
その中で淡々と自分の仕事をする。
まさに理想の姿。
尊敬する作家よりも、
多分、尊敬する投手の方が多いと思う

2013年6月16日 (日)

『殯の森』

父の日。

子供からカバーノートをもらう。

去年のペンは今も大活躍しているが

(同じ商品を大量に買い置き)

このノートもこの先一生使うだろう。

DVDで河瀬直美の『殯の森』を観る。

俺の記憶だと確かこの映画、

劇場で公開する前にNHKBSハイビジョンで放送していて、

その直後に(調べたら前日だった)

カンヌのグランプリを受賞。

一番いい録画モードで録ってはいたのだが、

だったら劇場で観ようと思っているうちに、

そのままになっていた。

『殯の森』

やっぱり好きな映画だった。

上手く説明できないが、

この監督の森の感じが好きだ。

人々の話し方が好きだ。

生と死の距離が好きだ。

あくまで感覚的なものだが、

この映画には命が宿っていると思う。

大切な人の事を思いながら観る映画だ。

2013年6月 8日 (土)

『イノセント・ガーデン』

数日前

Twitterというものがある今、

 このブログにおける日付はほとんど意味がない)

映画『イノセント・ガーデン』を観た。

『オールド・ボーイ』の韓国のパク・チャヌク監督、

初のハリウッド作品。

正直、ピンとこなかった。

脚本のせいもあると思う

(俳優ウェントワース・ミラーの脚本)

でも、それ以上に

土壌が違うと思った。

韓国映画の“これでもか、これでもか”な、

こってりとした感じが全くない。

獣臭い息づかい、

べっとりとした血、

絶対、座りたくない床、

窓がなさそうな建物。

そんな世界観とは真逆の、

アメリカの広いお屋敷に白人俳優。

ちっとも怖くない。

テレビでもこれ、あるなあと思った。

A局が得意な事をB局でやってみても、

なんかしっくりこない。

B局が得意な事をC局が真似てみても、

その上をいく事はない。

小津がどんなにフランスで絶大な支持を得てたとしても

『東京物語』を『巴里物語』にリメイクしちゃ駄目だ。

気をつけよう。

2013年6月 7日 (金)

中道

2週間ほど前、

ぽっかり時間が空いてしまったので、

ある有名な不動尊に行った。

正直、自分には宗教心というものがあまりないのだが、

以前、ある方に落ち着きますよと勧められていたので。

一日に5回ある

本堂での読経(正確には、お護摩祈祷というやつ)

を聞いていると、確かに落ち着く。

というか、テンションが上がる。

燃えさかる護摩木が視覚を、

力強い和太鼓の響きが鼓動を刺激し、

心地いい。

恥ずかしながら自分でもノってくるのがわかる。

約30分の読経の後、

お坊さんが独り残り、お話が始まった

(正確には法話と書く)

その話、簡単にいうと、

昔、お釈迦様が長い年月をかけて、山に籠もり、

厳しい修行をして悟りを開こうとしたのだが、

結局、悟りは降りてこなかった。

お釈迦様はあきらめて、山を降り、

川のほとりで瞑想をしたところ、

悟りが降りてきた。

じゃ、あの修行は何だったんだよという事になるが、

あの厳しい修行がなかったら、

悟りを開く事はできなかっただろうという。

要はめちゃめちゃ努力すれば、

いいアイディアが生まれるかと言えば、そうではない。

むしろ、何もしてない時に生まれる。

でも、めちゃめちゃ努力しないと、そうはならない。

といったお話。

これを我々の世界では“中道(ちゅうどう)”といいます。

そう言っていた。

これは有り難いお話だ。

まさに今の自分にも当てはまる。

喫茶店やヒルズ図書館で

何時間粘ったところで何も浮かばない時もある。

こりゃやばいぞと思っていると、

会議前にふと浮かぶ事がある。

あれの事かな。

そっか、お釈迦様レベルでもそんな事があるんだ。

いい事を聞いた。

薄暗い本堂の中で、慌ててiPhoneを取り出し、

“中道”とメモらせてもらった。

その夜、家に帰り、

早速“中道”とググってみた。

ところが、そんな意味の事はあまり書かれていない。

あの話は何だったんだ。

まるでお坊さんが、

俺がくる事をわかっていて、

今の俺に合うようにアレンジしてくださったとしか思えない。

でも、ものは解釈だ。

その話、有り難く糧にさせていただく事にした。

« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »